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不思議な少年!! その16

不思議な少年!! その16

ヨハネの使命、洗礼式の制定!!


 洗礼のヨハネはいかにして生まれたか。その目的と使命が、如実に語られている。おそらく、聖書にもこうも分かり易く記されていない。聖書は、多くの部分で時代が大きく飛んでいる。これは致し方がない。この物語が、その部分を真に補っているか否かは、読者の判断に委ねられる。


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 投稿者が強要するつもりは一切ないし、出来ない。只、滑落した部分を補って余りあると考えているし、一層その真意が理解出来る。聖書はよく読むし、通読は2回以上、部分的には10回を余る程読んだ記憶があるが、十分に理解出来ているとは思わない。かといってクリスチャンでは決してない。


 この物語は、3度読んだ。聖書の理解が進んだ。バステスマ(洗礼)の意義がよく分かる。


 バステスマ(洗礼)も儀式である。神道の「一拝 一祈念二拝 四拍手 一拝」も儀式である。五体投地であれ、なんであれ、儀式である。儀式は形から神に至る行為と捉えれば、それはそれで自由である。それ以上に大切なのは、意義を理解し、目的を違えないことである。


 宗教は好きかと問われるならば、好きではない。しかし、真理は好きである。真理を求めることは真実を求めることと同義である。それが宗教にあるとすれば、それは無視出来ない。


 真理は、ありてあるものである。真実はそれに沿うモノであると考えている。表現はともかくとして、人間が存在する遙か以前から、真理は存在した。宗教はその真理を追究する手段として、人間が作り出したものであるとしても、その意義は大きい。科学も哲学もそれと同様なものと考えることが出来るが、宗教を超えるものではない。寧ろ、宗教に含まれるものと考えることが出来る。

 


 演繹と帰納の違いであると考える。いずれが良いとも思わないが、人間の認識能力は限りがある。だとすれば、認識能力を超えた部分は演繹的に、あるいは形而上的に与えられると考えることの方が素直であると考える。 


 その存在が、先駆者と呼ばれるのであれば、納得する。ヨハネは先駆者であり、イエスは偉大な人類の先駆者であろうと考える。イエス以外にも先駆者は多い。偉大なる先駆者から生まれた教えが宗教と考えられる。


 偉大な先駆者の教えも、時を経、人を経るに従って、形骸化し、あるいは意図を持って歪曲された側面が諸々の宗教にはある。それを見抜くためにも、真理の探究は必要であるし、その姿勢を堅持する方向には、必ず、真理の導きがあると信じている。真実も同じである。真実は追究してこそ、最終的には真実は顕れる。


 それにしても、マセノという人物、ヨハネのための隠れた先駆者である。バステスマのヨハネ、エリヤの再来のヨハネにしても、又、導かれている。イエスはヨハネにより掃き清められたし、数々の預言者によって、導かれていた事実をかいま見るであろう。 


 ヨハネ十二歳の時母は死んだ。隣人たちはヘブロンの墓所で、親戚のなかにあるザカリヤの墓の近くに、その亡骸(なきがら)をやすませた。ヨハネはいたく悲しみ泣いた。


 マセノは言う、「死のために泣くんでない。死は人間の敵でない。死は友人だ。一生の仕事が済めば、丁度地上に人間ボートを繋いだ綱を切り、一層静かな海に航するようにする。


 どんな言葉も、到底母なる者の価値を伝えることは出来ない。君のお母さんは苦労した。真心の人であった。しかしお母さんは仕事の済むまでは、世から召されなかった。死の召命はいつも善いものだ。<


 ここと同様、そこでも問題を解決してくれるから。


 そしてどこで一番立派に自分の問題を解決することが出来るかは、屹度(きっと)自分で分かる死者の魂を再び地上に呼び戻したいと思う願いは全く利己主義である。それだからお母さんを安らかにやすませるのだ。その貴き生涯が君の力となり霊感となれば十分だ。


 いよいよ君の一生の危機が来たから、君のなすべき仕事について、はっきりした考えを持たねばならぬ。古今の聖賢は君を先駆者と呼ぶ。予言者は君を見てエリヤの再来と言っている。君のここでの使命は先駆者のそれである。それは君が道をととのえるためにメシヤの面前に行き、人々に王を迎える準備をさせるのである。


 準備とは心の純潔であり、心の清き者だけが王を認めることが出来る。人に心の清きことを教えるには、先ず自分の心も言葉も行為も清きものとならなければならぬ。君は幼い時誓約を立てて、ナザレ人となった。剃刀(かみそり)を顔にあててはならぬ。葡萄酒(ぶどうしゅ)と強き飲みものを飲んではならぬ。(民数記略三)

 

 とにかく人々は自分たちの生活の模範を他に求めて、その後について行くのが好きだが、進んで他を指導することをしない。町角に立って、路を指しながら、動こうとしない者は、まるで道標(みちしるべ)である。これは木切れで十分だ。教師は道を踏んで行く。その足跡は地面にはっきり残るから、何人も自分たちの先生がその道を、歩いたことが分かる。


 人々は見たり行うことによって、内なる生命を知り、儀式、形式によって神に行く。そこで君が人々に清き生活によって、罪から洗い清められることを教えようとすれば、これを示す儀式を採用すれぱよい。


 罪を離れて清き生活を送ろうと努力する者を水で洗うがよい。この清めの式は準備の儀式であつて、かくして洗われた者は純潔教会をつくる。それで君は言うがよい。「汝らイスラエルの人々よ、聞け、清き子となれ、そうすれば赦される」と。

 

 この洗礼式とこの教会は、正しい生命を清めることによつて、魂が清められ魂の王国の象徴(しるし)となる。これは外観によることでなく、内なる教会である。 さて君は決して道を示さず、自分で行わなかったことをなせと人々に言うことは出来ないだろう。先ず自分が先に行って道を示すより外はない。


 人々に洗うことを教えようとすれば、先ず自分の身を清めなければならぬ。これは魂を洗う象徴(しるし)である。」


 

 ヨハネは言った、「なぜ待つ必要がありますか。すぐに行って洗ってはいけませんか。」


 マセノ、「結構だ。」それから彼らはヨルダン川の渡場(わたしば)に行き、エリコの東、丁度イスラエルの大衆が初めてカナンに入った時に渡った所で、しぱらく滞留(たいりゅう)した。マセノは先駆者に、洗礼式の深き意味を説明し、自分を洗い、民衆を洗う方法を教えた。それからヨルダン川でヨハネは洗われ、そして共に荒野に帰った。


 

 これでエンゲジの山に於けるマセノの仕事が済み、ヨハネと共にエジプトに下った。それからナイル河の谷間にあるサカラの宮につくまで途中休まなかった。数年間マセノはこの宮にある兄弟団の教師となったが、ヨハネの人となりと人の子らに対するその使命について語ったので、聖師は喜んで先駆者を迎え、これを「兄弟ナザレ人」と呼んだ。

 

 十八年間ヨハネはこの宮の門内に生活して働き、ここで自我を克服して、聖者となり、先駆者の務めを学んだ。


【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】


第四部 先駆者ヨハネの子供時代と初期の教育


第十五章 エリサベツの死と埋葬。マセノの教訓。死の奉仕。ヨハネの使命。洗礼式の制定。マセノ、ヨハネをエジプトに運れて行く。ヨハネ十八年間サカラの宮に留まる。

1)ヨハネ十二歳の時母は死んだ。隣人たちはヘブロンの墓所で、親戚のなかにあるザカリヤの墓の近くに、その亡骸(なきがら)をやすませた。

2)ヨハネはいたく悲しみ泣いた。マセノは言う、「死のために泣くんでない。

3)死は人間の敵でない。死は友人だ。一生の仕事が済めば、丁度地上に人間ボートを繋いだ綱を切り、一層静かな海に航するようにする。

4)どんな言葉も、到底母なる者の価値を伝えることは出来ない。君のお母さんは苦労した。真心の人であった。しかしお母さんは仕事の済むまでは、世から召されなかった。

5)死の召命はいつも善いものだ。ここと同様、そこでも問題を解決してくれるから。そしてどこで一番立派に自分の問題を解決することが出来るかは、屹度(きっと)自分で分かる

6)死者の魂を再び地上に呼び戻したいと思う願いは全く利己主義である。

7)それだからお母さんを安らかにやすませるのだ。その貴き生涯が君の力となり霊感となれば十分だ。
8)いよいよ君の一生の危機が来たから、君のなすべき仕事について、はっきりした考えを持たねばならぬ。

9)古今の聖賢は君を先駆者と呼ぶ。予言者は君を見てエリヤの再来と言っている。

10)君のここでの使命は先駆者のそれである。それは君が道をととのえるためにメシヤの面前に行き、人々に王を迎える準備をさせるのである。

11)準備とは心の純潔であり、心の清き者だけが王を認めることが出来る。

12)人に心の清きことを教えるには、先ず自分の心も言葉も行為も清きものとならなければならぬ。

13)君は幼い時誓約を立てて、ナザレ人となった。剃刀(かみそり)を顔にあててはならぬ。葡萄酒(ぶどうしゅ)と強き飲みものを飲んではならぬ。(民数記略三)

14)とにかく人々は自分たちの生活の模範を他に求めて、その後について行くのが好きだが、進んで他を指導することをしない。

15)町角に立って、路を指しながら、動こうとしない者は、まるで道標(みちしるべ)である。これは木切れで十分だ。

16)教師は道を踏んで行く。その足跡は地面にはっきり残るから、何人も自分たちの先生がその道を、歩いたことが分かる。

17)人々は見たり行うことによって、内なる生命を知り、儀式、形式によって神に行く。

18)そこで君が人々に清き生活によって、罪から洗い清められることを教えようとすれば、これを示す儀式を採用すれぱよい。

19)罪を離れて清き生活を送ろうと努力する者を水で洗うがよい。

20)この清めの式は準備の儀式であつて、かくして洗われた者は純潔教会をつくる。

21)それで君は言うがよい。「汝らイスラエルの人々よ、聞け、清き子となれ、そうすれば赦される」と。

22)この洗礼式とこの教会は、正しい生命を清めることによつて、魂が清められ魂の王国の象徴(しるし)となる。これは外観によることでなく、内なる教会である。

23)て君は決して道を示さず、自分で行わなかったことをなせと人々に言うことは出来ないだろう。先ず自分が先に行って道を示すより外はない。

24)人々に洗うことを教えようとすれば、先ず自分の身を清めなければならぬ。これは魂を洗う象徴(しるし)である。」

25)ヨハネは言った、「なぜ待つ必要がありますか。すぐに行って洗ってはいけませんか。」

26)マセノ、「結構だ。」それから彼らはヨルダン川の渡場(わたしば)に行き、エリコの東、丁度イスラエルの大衆が初めてカナンに入った時に渡った所で、しぱらく滞留(たいりゅう)した。

27)マセノは先駆者に、洗礼式の深き意味を説明し、自分を洗い、民衆を洗う方法を教えた。

28)それからヨルダン川でヨハネは洗われ、そして共に荒野に帰った。

29)これでエンゲジの山に於けるマセノの仕事が済み、ヨハネと共にエジプトに下った。それからナイル河の谷間にあるサカラの宮につくまで途中休まなかった。

30)数年間マセノはこの宮にある兄弟団の教師となったが、ヨハネの人となりと人の子らに対するその使命について語ったので、聖師は喜んで先駆者を迎え、これを「兄弟ナザレ人」と呼んだ。

31)十八年間ヨハネはこの宮の門内に生活して働き、ここで自我を克服して、聖者となり、先駆者の務めを学んだ。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  

 

SECTION IV

DALETH

Childhood and Early Education of John, the Harbinger

 

CHAPTER 15

Death and burial of Elizabeth. Matheno's lessons. The ministry of death.
The mission of John. Institution of the rite of baptism.
Matheno takes John to Egypt, and places him in the temple at Sakara,
where he remains eighteen years.

WHEN John was twelve years old his mother died, and neighbors laid her body in a tomb among her kindred in the Hebron burying ground, and near to Zacharias' tomb.
2) And John was deeply grieved; he wept. Matheno said,
It is not well to weep because of death.
3) Death is no enemy of man; it is a friend who, when the work of life is done, just cuts the cord that binds the human boat to earth, that it may sail on smoother seas.
4) No language can describe a mother's worth, and yours was tried and true. But she was not called hence until her tasks were done.
5) The calls of death are always for the best, for we are solving problems there as well as here; and one is sure to find himself where he can solve his problems best.
6) It is but selfishness that makes one wish to call again to earth departed souls.
7) Then let your mother rest in peace. Just let her noble life be strength and inspiration unto you.
8) A crisis in your life has come, and you must have a clear conception of the work that you are called to do.
9) The sages of the ages call you harbinger. The prophets look to you and say, He is Elijah come again.
10) Your mission here is that of harbinger; for you will go before Messiah's face to pave his way, and make the people ready to receive their king.
11) This readiness is purity of heart; none but the pure in heart can recognize the king.
12) To teach men to be pure in heart, you must yourself be pure in heart, and word, and deed.
13) In infancy the vow for you was made and you became a Nazarite. The razor shall not touch your face nor head, and you shall taste not wine nor fiery drinks.
14) Men need a pattern for their lives; they love to follow, not to lead.
15) The man who stands upon the corners of the paths and points the way, but does not go, is just a pointer; and a block of wood can do the same.
16) The teacher treads the way; on every span of ground he leaves his footprints clearly cut, which all can see and be assured that he, their master went that way.
17) Men comprehend the inner life by what they see and do. They come to God through ceremonies and forms.
18) And so when you would make men know that sins are washed away by purity in life, a rite symbolic may be introduced.
19) In water wash the bodies of the people who would turn away from sin and strive for purity in life.
20) This rite of cleansing is a preparation rite and they who thus are cleansed comprise the Church of Purity.
21) And you shall say, You men of Israel, hear; Reform and wash; become the sons of purity, and you shall be forgiven
22) This rite of cleansing and this church are but symbolic of the cleansing of the soul by purity in life, and of the kingdom of the soul, which does not come with outward show, but is the church within.
23) Now, you may never point the way and tell the multitudes to do what you have never done; but you must go before and show the way.
24) You are to teach that men must wash; so you must lead the way, your body must be washed, symbolic of the cleansing of the soul.

25) John said,
Why need I wait? May I not go at once and wash?
26) Matheno said,
'Tis well,
and then they went down to the Jordan ford, and east of Jericho, just where the hosts of Israel crossed when first they entered Canaan, they tarried for a time.
27) Matheno taught the harbinger, and he explained to him the inner meaning of the cleansing rite and how to wash himself and how to wash the multitude.
28) And in the river Jordan John was washed; then they returned unto the wilderness.
29) Now in Engedi's hills Matheno's work was done and he and John went down to Egypt. They rested not until they reached the temple of Sakara in the valley of the Nile.
30) For many years Matheno was a master in this temple of the Brotherhood, and when he told about the life of John and of his mission to the sons of men, the hierophant with joy received the harbinger and he was called the Brother Nazarite.
31) For eighteen years John lived and wrought within these temple gates; and here he conquered self, became a master mind and learned the duties of the harbinger.

【続く】


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